樹氷の伊吹にて・・・(若かりし頃!) 撮影:本若博次
氏 名 | 堀田 明 社団法人日本写真家協会会員 |
ハンドルネーム | bird |
生 年 月 日 | 19○○年4月29日(中年真っ盛り!おっさん、まもなく老人・・・) |
生 国 | 福岡県北九州市 |
現 在 | 埼玉県川口市在住 |
略 歴 | 1967年会社勤めしながら野鳥写真撮影開始。 1977年退職後、フリーランスのカメラマンとして活動。 2001年10月31日ホームページBird'sWoldオープン!。 |
写 真 展 | 1989年東京原宿・積雲画廊 「野鳥讃歌」 1992年東京原宿・積雲画廊 「はばたけ青い鳥」 1993年東京原宿・積雲画廊 「小鳥たちの四季」 1994年千葉松戸・文化の森 「小鳥たちの四季U」 1995年富士フォトサロン(東京)「鳥・四季の歌」 富士フォトサロン(大阪)「鳥・四季の歌」 富士フォトサロン(福岡)「鳥・四季の歌」 2001年東京原宿・積雲画廊 「野生の躍動」 |
団 体 展 | 日本写真家協会50周年記念「日本の写真家1000人展」出展 |
著 書 ・ 共 著 | ポケット図鑑「野鳥」 1993年成美堂出版 ポケット図鑑「野鳥」改訂版 2000年成美堂出版 ポケット図鑑「野鳥」改訂版T 2003年成美堂出版 「名前と言われ日本の野鳥図鑑・野山の鳥」 1995年偕成社 「名前と言われ日本の野鳥図鑑・水辺の鳥」 1995年偕成社 「野鳥観察図鑑」 1999年地球丸 「富士の鳥」 1986年保育社 |
そ の 他 | 各種図鑑・新聞・カレンダー・ポスターなどに作品発表中! |
性 格 | のんびり屋・お人好し・女性に優しい・アホ!・負けず嫌い |
身 長 | 176p |
体 重 | 72kg |
雪の北海道にて・・・(一寸近況!) 撮影:吉野俊幸 |
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子供の頃の夢が・・・!(生い立ちから現在まで・・・)
小学生の頃から動物が好きで、飼育係などを進んでやっていました。
故郷は野鳥が多く、庭の木にカッコウが来ることもしばしば・・・。
そんな環境が自然に鳥さん好きになったのかも知れません。
中学の頃は、将来の夢として新聞記者になりたいと思っていました。
新聞記者を目指すなら普通高校、大学は九大と決めていたのですが、母子家庭であったこともあり母親にこれ以上迷惑かけることも出来ず、県立小倉工業高等学校電気科を選択!。
この時点で夢は消えてなくなったと思いました。
高校卒業後、三菱電機系列の会社に入社。
ところが、その年の暮れ母が急逝!。
実家を兄に任せて東京へ転勤。
この転勤が私にとっての人生の分岐点だったように思います。
東京で野鳥好きの盛下明夫氏との出会いがあり、ドンドン、野鳥の魅力にとりつかれていったのを、今でも思い出します。
この盛下氏こそ、私の野鳥の先生でありました。
20数年にわたって観察されていたフクロウとの出会いを与えてくださったのも、盛下氏でした。
夜行性のフクロウは滅多に出会う機会はありませんが、その神秘的な生態について全てを教えて下さいました。
写真の批評も盛下氏!あまりにも小さく写ってると、「これ!ゴミと違うの?」。
画面一杯のキビタキを見て、「お〜〜!、カモかと思った!」等、手厳しいものでした(爆爆)。
一緒に山歩きしながら、野鳥生態の全てを教わったと言っても間違いはありません。
仕事の傍ら、せっせと撮影に出かけたものですが、やはり限界が生じてきます。
「もっと撮影したい!、珍鳥も追いかけたい!。」
欲望は募るばかり・・・。
そして思い切って退社!。
会社勤めで培った技術をもとに、設計図を書きながら収入を得て、北は北海道知床、南は西表島まで日本全国をかけずり回りました。
今思えば家庭を顧みず、無謀なことをやったものだと思います。
このころは、フリーになったとはいえ全くと言って良いほど、写真の仕事はなく無収入でした。
しかし、「撮りためることが写真家の仕事だ!」等と、自分を慰めながらの取材行を続けました。
取材に出かけるたびに新しい出会いがあり、沢山の方達と巡り会え、それが財産となりました。
初めて学研の「動物と鳥」に写真を使ってくださったのも、野鳥の世界では著名な高校の小笠原先生でした。
写真家堀田明のデビュー!。
長い年月を費やしたものですが、本当に記念すべき日でもありました(感謝!)。
それから30年以上の年月がたちましたが、写真家として生活できることは、私にとって、何物にも代えられない幸せだと思います。
新聞記者にはなれなかったけれど、ペンをカメラに持ち替えたと思えば、子供の頃の夢が叶えられたと言っても過言ではありません。
環境破壊等のために、絶滅していくかも知れない野鳥たちの姿を、子供達の将来に残せる仕事!。
本当ににやりがいのある仕事だと思っております。
命ある限り、野鳥たちと心温まる交流を続けながら、自然写真家として全うしたいと、心から思っています。
思いのままに・・・(言いたいこと書いちゃおっと!)
私は富士山麓をメインフィールドに活動しているのですが、近年環境開発のため、野鳥が激減していると言っても過言ではありません。
ごく普通に見られた、コルリ・クロツグミ・アカハラが激減!、アカモズは全く居なくなってしまいました。
キビタキの数も減り、サンショウクイは姿もありません。
ただ自然保護、自然保護と唱えている何処かの団体さんも、この辺の所に目を向けて、保護運動を続けてもらいたいと思いますね。
近年、写真家やカメラマンに対して批判的なバードウオッチャーも多くなってきましたが、根本が見えてないままの批判は、してはいけないのではと思いますね。
ごく一部にマナーの悪いカメラマンは確かにいます。
しかし、全てのカメラマン・写真家に対して敵対視するのはどうでしょうか?。
マナーを守って、野鳥さんとお付き合いさせて頂いているカメラマン・写真家も沢山いらっしゃいます。
それを同類であると思われるのは非常に心外ですね。
私が貴重種や珍鳥を追いかけなくなったのは、そんな経緯もあるのです。
誰もいないところで、のんびり撮影することが本当に楽しい!。
妙に気負うことなく、自然なお付き合いが出来るのですから・・・。
野鳥さんも自然な行動をしてくれますし、お気に入りの一枚が撮れる秘訣ではないでしょうか?。
標識調査について深く考えたい人はこちらへ・・・!
標識調査なる目的でカスミ網を張って捕獲し、足輪をつける意味が何処にあるのでしょう。
学術研究のためと言うことでしょうが、その後の報告は一切されていないように思うのは、私だけでしょうか?。
繁殖期に調査を行うことはもっと慎むべきでしょう。
以前、日本での繁殖初記録のマミジロキビタキを撮影中に、♂♀共に約3時間ほど巣に帰ってこないことがありました。
雛は寒さと空腹に耐えていましたが、戻ってきた♂♀には足環がつけられていました。
後で分ったことですが、その日は標識調査が行われていたようです。
このときは大事には至らなかったのですが、繁殖期の標識調査はやめるべきだと思います。
野鳥たちは、長時間にわたって網にぶら下がり、袋に入れられて持ち帰られます。
捕獲から計測・足輪付けにかかる時間は、いったいどれくらいだと思いますか?。
長いときは3時間に達するのですよ。
抱卵中の卵は冷え切ってしまい、孵化直前の雛たちは体温調整が出来ないので、死んでしまうものも出るはずです。
その辺の所も是非お考え頂きたいものですね。
繁殖期に大勢のウオッチャーがゾロゾロ歩き回るのも、しかりです。
山道脇の土手ではコルリ・ビンズイ・アオジなどが繁殖してるのです。
平気で土手の上を歩き回ることで、いくつもの命が奪われてることでしょう。
どのようなところに営巣しているか、勉強された方が良いように思います。
餌をくわえた鳥さんを撮影されてるカメラマンを、「雛が可愛そう!」「餌運びが出来ない」等と、大騒ぎするウオッチャーさんがいらっしゃいますがどちらもどちらでしょうね。
野鳥さんにとっては、大勢のウオッチャーもカメラマンもお邪魔虫なのです。
プロフィールに全く関係ないことを長々と書きつづってしまいました。
でも、言いたいことを言わなくては、ストレスが溜まるだけですので好き勝手に書いてしまいました。
「聞く耳持たず!」と言われる方、不快に思われる方は、見なかったことにして下さいね。(^^)
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